那智盤歩

アルセーヌ・ルパンシリーズについて書いていきます。

留置場と未決囚待合所

 

シテ島にあるパレ・ド・ジュスティス(司法宮、通称:最高裁判所)には、複数の身体拘束所が存在する。コンシェルジュリー、留置場、そして未決囚待合所の3つである。
コンシェルジュリーはアルセーヌ・ルパンシリーズに関わりあいがないため割愛するが、留置場と未決囚待合所はしばしば登場する。

 

まずは留置場から見ていこう。

 

留置場

留置場は原文では Dépôt と書かれ、「パリ市内で逮捕・連行された人間の一時的な拘束所」を指す。
パレ・ド・ジュスティス敷地内にあり、ロルロージュ河岸から出入りする。

(画像は全てGoogle マップより)

画像1:ロルロージュ河岸とオルフェーヴル河岸

『アルセーヌ・ルパンの逮捕』文中でも、パレ・ド・ジュスティスからサンテ刑務所へと戻るくだりにてロルロージュ河岸(オルロージュ河岸)を通る描写がある。

ルパンは毎日正午になると、ほかの囚人たちといっしょに護送車に乗せられ、サンテ刑務所から警視庁に連れて行かれた。(中略)
オルロージュ河岸をすぎて、裁判所の前を通るのがわかった。サン=ミシェル橋の半ばまで来たところで、

早川書房(訳:平岡敦)

決まって正午になると、アルセーヌ・ルパンはほかの囚人たちと共に護送車に乗せられ、サンテ刑務所から留置場へと連れて行かれるのだった。(中略)
ロルロージュ河岸を離れ、パレ・ド・ジュスティスの前を通るのが彼には分かった。やがて、サン・ミシェル橋の中ほど近くで、

拙訳

Et, régulièrement, à midi, Arsène Lupin fut amené, de la Santé au Dépôt, dans la voiture pénitentiaire, avec un certain nombre de détenus.(中略)
Il se rendit compte que l’on quittait le quai de l’Horloge et que l’on passait devant le Palais de Justice. Alors, vers le milieu du pont Saint-Michel, 

原文

早川書房(平岡訳)を参照すると、「留置場」ではなく「警視庁」と書かれているが、これは分かりやすさを優先した結果だろう。
他の訳でも「警視庁の留置場」等、原文には書かれていない「警視庁( Préfecture de police )」を捕訳しているものが多い印象だ。
確かにパリの留置場は警視庁の管轄下にあるため、「警視庁の留置場」という言い回しは間違いではない。
しかしながら、留置場のある場所は警視庁本庁(シテ兵舎)ではなく、前述のとおりパレ・ド・ジュスティス内である。
パレ・ド・ジュスティスとシテ兵舎の位置関係は以下のとおり。

画像2:パレ・ド・ジュスティスとシテ兵舎

『アルセーヌ・ルパンの逮捕』では先に引用したとおり、ロルロージュ河岸→パレ・ド・ジュスティス前→サン・ミシェル橋、と移動している。これを地図上で表すと以下のようになる。

画像3:留置場からサン・ミシェル橋までのルート

 

しかし、はて、 留置場は«「パリ市内で逮捕・連行された人間の一時的な拘束所」を指す。» のではなかったのか? 
ルパンは「パリ市内で逮捕・連行された人間」ではなく、「サンテ刑務所の未決囚」ではないのか?
実際、『続813』でサンテ刑務所からルパンが連れて行かれる場所は留置場ではない。
なぜ『アルセーヌ・ルパンの逮捕』ではこのような描写になっているのだろうか。
ルブランが間違えたのか、まやかしの入れ替えトリックを成立させるために敢えて不正確な描写をしたのか、それは定かではない。
(個人的には間違えたのだと推測している。)

 

未決囚待合所

では、『続813』でルパンが連れて行かれた場所とはどこだろうか。
答えは、未決囚待合所(Souricière)、だ。

Souricière 
①ネズミ取り(器)
②(警察の)罠、張込み
③【話】(パリ警視庁の)未決囚の待合室

ロベール仏和大辞典

これは「サンテ刑務所を含むパリ市内の刑務所から予審などのためにパレ・ド・ジュスティスに連行されてきた未決囚の待合室」のことである。
(簡単に言うと、自身の予審が行われる時刻まで待機させられる場所。)

未決囚待合所は留置場同様、パレ・ド・ジュスティス敷地内にあるが、留置場とは反対側のオルフェーヴル河岸側にある。
2001年に放送されたテレビ番組の動画を見ると、囚人護送車はオルフェーヴル河岸にある軽罪裁判所と警視庁司法警察局(813当時の警視庁国家警察部/警視庁保安部)を繋ぐ門から出入りしているようである。ただし、軽罪裁判所は1907〜1914年にかけて建設工事が行われていたため、建設真っ最中の813当時も同じ場所から出入りしていたかは定かではない。

www.youtube.com

 

軽罪裁判所の位置は以下のとおり。白い矢印で示した場所が、上述の動画で囚人護送車が侵入したところ。

軽罪裁判所

ちなみに軽罪裁判所が建てられる前のオルフェーヴル河岸はというと、こう。

 

813当時も2001年と同じ場所から出入りしていたとすると、『続813』のルートはこのようになる。

未決囚待合所からのルート


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